言語化の限界について

2017年12月22日雑感

以前書きかけたテーマです。
ブログや書籍を読んでもそこから読み取れるのは本質ではなく本質を言語化したものなので、本質を知りたければやり方が変わってくるという話です。ブログを書いてるのにそれを言っちゃーって感じですがそう感じました。

とにかく動け

よく自己啓発本にとにかく動け!みたいに書いてありますよね。ただ、動いたらどうなるかというのは動いた人にしかわからないわけで、動いてない人に『動け』というメッセージを届けるには無理があるんです。『言語+本質』も届けられるならそれでばしーっと完結しますが。そうではないと。

もう少し詳しく書くと

伝えたい側の精一杯は『動かないとわからないから動け』です。言葉の意味は伝わりますが、動いてない人にとっては、動かないと何がわからないのかがわからないわけです。動いた人は、すでに次のステップに進んでおり、動かないと何がわからなかったかのその答えにたどり着いてます。

ブログや書籍は相手のビジネス

それと、やはり、本やブログは相手のビジネスになってしまっているので、結局そこまで、最後までは面倒見てくれないんですよね。すごく嫌な言い方してますが、ブログや書籍が営利目的であろうと非営利目的であろうと、どのみち言語化から読み取れることに限界はあるなと思いました。

じゃあ、どうすればいいんだ?

気の向くまま生きればいいと思います。己が生み出した問いが、己がたどり着いた答えがどんな書籍よりも価値があります。

本質>言語化されたブログや書籍

ニッチな話ですがそこの差異が成功者とフォロワーとの間を縮められなくしてる要因だと思います。相手が狙ってるか狙ってないのかはわかりません。どちらにしても言語化には限界があるという話でした。

オッケー!

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